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Interview

卒業生の生きる道



ハーバードビジネススクール卒 山本雄士さん

変える人
山本雄士
医療は人を元気にするものでなくては。


今のお仕事を教えてください。
独立行政法人科学技術振興機構の中にある、研究開発戦略センターというシンクタンクで働いています。具体的には、大学や研究所で見つかった医学に関わる発見を、どのように病院などの臨床現場に持ってくるかという戦略を立てています。それから、2008年から始まる健診制度に向けて、事業会社に参加して健康保険組合などと仕事をしています。この会社は医療保険の保険者(健康保険組合など)を対象に、どんなプログラムを組んだら被保険者の健康増進ができるかというコンサルティングやサポートをしている会社です。


子ども時代について教えてください。
小学校、中学校は公立で、ごく普通の子でした。スキーばかりしていました。成績は悪くはなかったけど、いわゆる天才児とかではなく、得意な科目とかもありませんでした。学校は、嫌いではなかったですが。



医者というキーワードが人生の中に出てきたのはいつ頃ですか?
高校に入った時でしょうか。父親が歯医者で、兄二人も医学部に進んだので、その影響が特に大きいと思います。大学名は特に意識はしてなかったけれど、性格的には「目標は一番高いところにしよう」って思っていた気がします。


その「一番高いところ」に受かったわけですね。はい。今思うと「もっとあの時馬鹿騒ぎしておけばよかった」って思うくらい悔しいのですが、合格してはじけるって感じはなかったですね。受験勉強の最中も、部活をやっていたわけではないので、どこかの時点で受験のためにギアを入れ替えたというよりは、ずっとペースを変えずに勉強をし続けて合格したという感じ。東大に入ったことよりも、上京できたことが大きかった。やっぱり情報量やチャンスは地元より多い感じがしましたし。とはいえ、知り合いはいないし、お金もないし、あるのは時間だけ。学生時代はサッカーに夢中で、医師国家試験の時を除いて勉強はあまりしなかったですね。授業はあまり面白くなかったかなあ。


理想の医者像とかありました?
目標とするモデルとかはなかったです。ただ、「いい医者」になりたいって思っていました。医学部には色んな方向性を持った人がいるわけで、そういう人達と接する中で、性格の良い医者になりたいなあって漠然と感じていました。


卒業後は、ずっと臨床をされていらしたのですか?
そうです。循環器内科で臨床医として働きながら、卒後4年29歳で東大の博士課程に入りました。そこで細胞やたんぱく質を顕微鏡で見たりするような実験も始めたのですが、中々面白みがわからなくて。それで途中から、テーマを医療の質などを研究する社会医学的なものに変えて、2007年3月に単位取得満了となりました。



ビジネススクールに行こうと思ったのは、どうして?
大学院時代を含めて臨床を6年やってみて、医療に対して色々と不満があったからです。端的に言うと、医療に関わる人の皆が不幸だったり、不満だったりで、しかも医療全体として方向性が見えない気がしたんです。ずっと「これでいいの?」って思いながら仕事をしていました。


具体的には?
例えば、卒後2年目くらいで当直をするわけです。一応部長クラスの先生をいつでも呼び出して良いことになっているのですが、正直夜中に上司を呼び出すのは気が引けてしまう。となると、卒後たった1年の若造の自分一人が待機していることになる。そんな中で、「これって患者さんにとってまずいんじゃないの?」って思っていました。だから、給料を半分にしてでも、その分当直を二人にしたほうがいいと提案したけど、通らなかった。「昔からの病院の文化なんだから、それでいいでしょ」と言うことが理由でした。衝撃を受けたけれど、それ以上に意思決定権を誰が持っているのかすらよくわからない病院の構造も問題だと思いました。


加えて、治療方法や、治療方針が医者によって違うこともおかしいと感じていました。治療が標準化されていない、ということです。それに手続きの煩雑さもあって、ミスも起きてしまう。決して現場は効率的じゃなかったんです。教育の面でも、教材のわかりにくさや教育の体制は問題だと思いました。最終的には患者さんが困ることですから。それで私は、研修医が勉強しやすいようにと、テキストを書いたり勉強会を開いたりとかしていました。


臨床以外で見つけた問題点はありますか?
博士課程にいた時も、30歳の自分実験方法を一から学ぶよりも、18歳くらいからそういう教育を受けている理学部や薬学部の人たちと協力して、研究を進めていく方が効率的だと思いました。彼らのキャリアパスとしてもプラスになるし、彼らからのニーズもある。もちろん医師の側も助かります。でも、ここでもやっぱり「前例がない」となってしまう。医学部の人たちだけで病院をまわそうとしている感じがしました。例えば、心理学の研究者が精神科と協力したり、病院のベッドのデザインをデザインや建築を学んだ人に見てもらったりとか、そういうことって大学なら特にできるはずだと思いました。


それらの問題点を通して何か発見があったのですか?
全体として、病院や医療の中で、“マネジメント”というのが全然ないんだって結論に行き着きました。当時の上司に相談したら、「MBAでも行ってみたら?」と言ってもらえて、なるほどなと思いました。


常に問題意識を持ちながら生きているという印象を受けるのですが、その源は何なのでしょう?
自分では全然敏感だとは思っていないです。ただ、無駄なことは嫌いな性格なので、そういう人が医者の道に入ると、こういう風になってしまうのでしょうか(笑)。



周りの反応は?
受験勉強中は家族の他数人以外誰にも言わなかったから、周りは知らなかったと思います。アメリカの大学院受験は準備に時間がかかるし、臨床と博士課程での研究をしながらの受験で大変だったんです。それに周りから「結局病院やめるんでしょ?」とか、「医療業界から出るんでしょ・」って思われることは、仕事をしている中でリスキーだとも感じていました。受験への怖さはありませんでしたが、受けるって言っておいて合格しなかったら嫌だな、とは思っていました(笑)。


なぜ、ハーバード?
医療業界から見ても、名前が通っているところに行こうと思いました。将来結局は医療業界に戻るつもりでしたから。それからリーダー養成校としてはっきり位置づけられているのも、自分の方向性にあっていると思いました。数ある素晴らしいビジネススクールの中で、自分の方向性に沿った特色をもつ学校を選ぶのは重要だと思います。でも、一方で医療業界の人が見て「どこそれ?」って思われたらまずいとも思いました。


苦しかったり、つらかったり時期はありました?
ずっと苦しいですよ(笑)。なんか、いつもストレッチされている気がします。例えば、大学受験の時はそれなりに苦しいですよね。大学入ったら入ったで、人格形成期だし、いろいろな人と知り合って、人間関係について考えていかなくちゃいけなくもなる。卒業すると今度は、日常の臨床・当直に加えて学会活動もあっって、肉体的につらいこともあったし、患者さんとの接し方、職場の中で困ったなってこともあったし。とにかく何かそこにチャレンジがあって休めない感じです。でも、基本的に楽観的なんです。死ななきゃなんとかなるって思っています。


そして、晴れてハーバードビジネススクールに合格。周囲の人の反応は?
「なんか、たくらんでいるとは思ったよ」と周りに言われましたけど(笑)。でも好意的に、おもしろいねって感じで受け止めてくれました。家族は、「へえ」という感じで、あとは「東大まで行って医者になったのに、わざわざやめて留学ねえ・・・」という感じでした。


ハーバードで日本人初のMD/MBAということでしたが、それに対しては何か感じることはありましたか?
日本人では自分が初だったようですが、他の国の人でMD/MBAというのは何人もいたので、すごいことだとは思ってません。それにMBAを取ったから何か達成したということにはならないので。むしろ、肩書きで話題先行になってしまって過剰な期待をされたらどうしようっていうのは思ったし、今も思っています。



ハーバードって何ですか?
母校の一つ。なかでも、自分を大事にしてくれた母校。ハーバードは1学年900人くらいがいるのですが、教授が最初から自分の名前を覚えていてくれて、それ以上に自分を知ろうとしてくれる。学校では「あなたは選ばれてこの場所に来た。なぜだかわかるか? その理由を考えなさい。そして、それが見つかったら、そこを生かして社会に貢献するんだぞ」って毎日毎日言われる。学生に対して「教育している」というのがとてもわかる学校でした。


心の芯にしている言葉などはありますか?
そういうの、ないんです。実は、それが、最近の課題。最近、コンサルティング的な問題解決思考とか、はやっているでしょう?そういうものが大切だとは思っているのですが、でもそれだけでもないと思うようになりました。問題解決というのは「手段」ですから、どちらかというと反射神経を研ぎすませているような感じがします。だから、その場その場の対応には有効ですが、中に芯がないと目の前の対処だけに終わってしまう。だから一貫した哲学も大事だな、と思って悩んでいます。ビジネススクールで言われることは、「何のために生まれて、社会にどういう貢献をするのか?あなたのミッション(使命)はなんなのか?」という、つまり芯の部分の問いかけが多いんですね。当時は、なるほどって漠然と思ってきましたが、最近それをより深く考えています。


一番大きい夢は?
いい医療を作るために、何かの形で貢献したいんです。医療で人は元気にならなくちゃいけないんです。そういう医療を作りたい。だから役割は、変えること、といえるのかな。一般の臨床もしていたいのですが、現時点では臨床を続けることで医療を変えるのは難しいかなとも思うんです。自分が重視したいのは仕組みとかその運用とか、あるいは概念的なところですから、そこできちんとしたことをしたい。それも徐々にとかじゃなくて、「もうやろうー!!」みたいな勢いでやりたいですね。やり方は、今、考え中です。


具体的に来年のゆうじさんは何しているでしょう?
普通に仕事していると思います。何か新しい、楽しいことを企んでいるといいな。医療をよくするために打つ手はこれかな、とか。産官学の橋渡しをしながら、国を挙げて日本の医療を前進させるような仕事ができたらいいなと思います。



<山本さんの軌跡>
1974年 0歳 北海道札幌市に生まれる。
1992年 18歳 北海道立札幌南高校卒業。東京大学医学部入学。
1998年 24歳 東京大学医学部医学科卒業。
      循環器内科臨床医として都立広尾病院、東京大学医学部付属病院等に勤務。2003年 29歳 東京大学医学系研究科医学博士課程入学。
2005年 31歳 ハーバード大学ビジネススクール入学。
2007年 33歳 卒後3ヶ月間、ハーバード大学ビジネススクールからのフェローシップで、日本のがん検診受診率向上のための調査を行う。
現在 独立行政法人科学技術振興機構 研究開発戦略センター勤務。ヘルスケア・コミッティー株式会社顧問。その他、医療向上のためのプロジェクト、講演等に携わる。


<大切にしている言葉>
“知っている人は知らない人に教えるのは義務である”
“できる人は、自分が一番輝く場所を知っていて、そこで全力をだしている”
“とにかく結果を出せ”
“勝手に自分で限界を決めるな”


<編集後記>
ボストン時代、彼の考え方や生き方に共感したり、憧れる人たちが毎月のように山本家に集っていた。私もそのパーティーに参加させてもらったのだが、集っている人たちもこれまた素晴らしい人ばかりなのである。


大切にしている言葉を聞いた後、「とはいっても、自分で言っておきながら、そのとおりできないから、そんな時は自分に腹立たしくなる」。さらに、来年の目標(産官学を束ねたい)を言った後「でもやっぱりこれは偉そうだから削除して!!!」と山本さん。“謙虚”という言葉は彼のような人のためにある。そして、強さと謙虚さを兼ね備えているからこそ、人は、彼について行きたいと思うんだ、きっと。


写真 シギー吉田
記事 林 英恵

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コメント

コメント662. 前田春菜|MAIL|2012/10/14 14:49

*取材依頼*

お世話になっております。
テレビ朝日やじうまテレビの前田春菜と申します。
現在iPS関連で森口尚史氏について取材をしておりまして
ハーバード大学の医学部における「客員」「特任」とはどういうものなのか
研修に行くには何が必要なのか などを調べております。
もし、ハーバード大学の医学部に留学された方で
お話していただけるような方がいらっしゃいましたら
ご紹介していただけますでしょうか。
お忙しい中大変申し訳ありませんが明日の放送でして
今日中にご連絡がとれたらと思います。
ご連絡お待ちしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

テレビ朝日やじうまテレビ
前田春菜
03-6406-1370

コメント655. sora|2011/12/26 22:11

こういった人達が若い世代にたくさん出てきたら、医療現場に改革をもたらしてくれる希望が見えるのに。

私は父を末期がんで亡くしました。
その時家族で交代で病院に付き添っていましたが、病院の関係者の事務的態度、夜間の医師や看護婦の頼りない少なさ、痛感しました。夜勤の看護婦も二人体制で 時には病院の廊下にある電話BOXで私的な長電話している姿もみかけましたから、腹も立てていました、ナースコールで呼んでも 人が少ないからといってすぐに来てもくれなかったのに。

父が亡くなった時ですらすべてが流れ作業のように、事務的で、家族への配慮も感じられませんでした。
その病院は大規模で、まあ有名でもあります。

日本の医療現場にもっとホスピタリティがあってほしかったです。

コメント624. meifan|MAIL|2009/09/25 11:08

私も医療者上がりで、5年の臨床の経験する間に、同じような疑問がうまれMHA取りに米国留学しました。
ちなみに私も北海道出身で親近感がわきます(笑)。
今は結局古巣に戻っていますが、徐々に学んだこと実現できればと思っていたので、山本さんの記事を見て励まされました。

コメント622. テイウ|MAIL|2009/07/08 13:57

社会のために、人を救うためにハーバート卒業したこと、素晴らしいです。私も頑張ります。

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