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Interview

卒業生の生きる道



ケネディ行政大学院卒 馬渕俊介さん

「意味のない」壁を破る人
馬渕俊介さん
「大統領と屋台のおばちゃんの間を埋められる人間」になりたい


小学校はどんな子でした?
調子に乗りやすいタイプだった。遊びに行っても目立ちたがって大怪我をしたり、授業中もはしゃぎすぎて後ろに立たされたり。5年生の時に中学受験の勉強を始めたけど、塾は好きだったかな。成績はよかった。


そして、第一志望の武蔵中学、高校に進学ですね。
中高はひたすら野球。東京ベスト4を目指して、朝練して夜も10時まで練習したから勉強との両立が大変だった。最後の大会が終わった時「本当に自分は全力を出し切れたのか」という思いが残って、その悔しさは今でも夢に出てくるし、自分の糧になっている。かけがえのない仲間もできた。



大学を意識したのはいつ頃ですか?いつだろう。なんとなくかなぁ。父親や姉、親戚も東大だったから、自分も東大に行って学者になるのかなと思っていた。野球ばっかりやっていたから現役の時は落ちちゃったんだけどね。


浪人時代はどのような感じでした?
楽しかったねー。まず男子校から共学になったから(笑)。現役時代は合格ラインに近いところで落ちたから比較的余裕があって、共学をかなり満喫できたな。


大学に入って勉強したことは何ですか?文化人類学。授業でパプアニューギニアのカルリ族の儀礼「ギサロ」を見て感激して、全然違う精神世界のことを知りたいと思って。社会や文化に優劣はなくそれぞれに独自の合理性があるという「文化相対主義」の考え方が好きだったんだ。学者家庭で育ったこともあり、東アフリカを専門とする文化人類学者になろうと思っていた。


学者になるのをやめたのはなぜ?
途上国の人々の素晴らしい文化や精神世界を伝えていくだけではなくて、その社会の役に立ちたいと思ったから。東アフリカを専門にする研究者の本を読みまくっていた時、伝統世界が市場経済と出会ってダイナミックに変わりつつある中で、現地の人たちが適応に苦しみながら力強く生きていて、人類学者たちがそれに対して何もできないことにジレンマを感じていることがよくわかった。だから、学者ではなくて人類学をベースに途上国支援の仕事をしようと思ったんだ。その頃国際機関で長く働いていた先生が大学に教えに来ていて、かっこいいなって思ったのも大きかったね。


大学時代、勉強以外にしていたことは何ですか?
旅とムエタイ。高校時代は野球以外やってなかったから世の中のことを何も知らなくて。旅は、もっと視野を広げたいという思いと人類学好きとが重なって、ムエタイ(タイの国技、キックボクシング)は、自分のペースでできる運動をしたいと思って始めた。戦いの前の儀式とか、人類学の香りがするストイックな格闘技だったことも自分に合っていた。やるなら本格的にと思って池袋のジムに入って1年かけてプロのライセンスを取った。


二つとも自分が出会わなかったような人たちとの出会いが面白かったね。自分は人類学専攻の一人旅好きなキックボクサーで、髪もアフロな感じだったから、東大では相当変わった人って言われていたみたい。大学時代は、数え切れない人にお世話になりながら自分の器を広げた時間だったと思う。



そして、就職活動を迎えたのですね。
卒業後は、海外の大学院で開発の勉強をするか、JICA(国際協力機構)のような援助機関か、民間の経営コンサルティング会社かなと思っていた。早く開発の実務をやりたかったから、第一志望のJICAに合格した時点で即決した。


JICAではどのようなお仕事をしたのですか?
東京をベースに発展途上国の社会開発に関わらせてもらった。主にカンボジアとエルサルバトルで外国投資を呼び込むための戦略作りをして、タンザニアとミャンマーで基礎教育システムの改革、モンゴルで徴税システムの改革などをサポートした。コンサルタントや大学の先生、途上国の政府関係者とチームを組んで国を変えようとするやりがいのある仕事だった。


大学院を目指したのはいつ頃ですか?
働き始めて二年目くらい。JICAでは若いうちからプロジェクトマネージャーとして大きな仕事を任せてもらえるんだけど、24歳とかで、相手の国の大臣とかにJICAの看板を背負って話をするわけ。日本のチームをマネジメントしていくことには自信がでてきたんだけど、海外で自分がリーダーとして何かやろうとすると途端に力不足を感じて。まず、英語力が全然足りない。経済を見る力も開発の分野の知識も足りなかった。このまま行くと、井の中の蛙のまま年を取ってしまうと思った。JICAを世界に誇れる機関にしたいと思っていたから、自分が力をつけないと話にならないと思っていた。


なぜハーバード大学を選んだのですか?
行政・国際開発系の授業と、スピーチとか交渉術とか、政治家になるための授業とかのリーダーシップ教育が充実していたから。リーダーシップとは何かもよくわかっていなかったけど、大切さは感じていたから。


実際行ってみてどうでした?
「力試し」の場所という感じだった。



心に残っていることは?ティーチングフェローの仕事が評価されて、大学から学長賞をもらったこと。学生相手に教授の授業(予算と財政管理)の補講を毎週する仕事で、試験問題や授業で使うケースも作った。教授に気に入ってもらって打診されたんだけど、英語力も専門知識もない中で、通常博士課程の学生がやる仕事を自分がやるには荷が重過ぎるって何度か断った。でもこんなチャンスを逃す手はないって言う気になってきて。あの英語力でよくやったよなって思う。


生徒たちが推薦してくれて賞を取れたんだけど、受賞の時は友達がすごい盛り上がってくれてね。自分のことで喜んでくれるいい友達がこんなにできたということも含めて、本当に嬉しかった。


卒業後JICAを辞めて経営コンサルティング会社に勤務されていますが、どのような心の変化があったのですか?
留学して一歩引いた目で途上国援助の業界を見ていて、援助をする側も受ける側も馴れ合いのような感じで必死感がないと思った。開発業界に民間のマネジメントをという声は良く聞かれるのだけど、このままJICAの中で育った時、民間のことも熟知した自分になれるか自信がなかった。JICAは本当にいい組織で今でも愛着を持っているし、戻れなくなるのかなぁとも思ったけれど、「どんなポストで働けるか」よりも「どんな自分になれるか」について後悔したくなかった。「意味のない」壁をダイナミックに破れる人間でありたいともいつも思っていたしね。恩返ししないまま退職したのは本当に不誠実だったと思うけど。


「意味のない」壁というのはどういうことですか?
英語が苦手な日本人は世界で活躍できないとか、国際協力の世界ではトップは現場を知らず、現場の人はトップの政策に影響を与えられないとか、公共と民間の壁とか。自分は現場のことも知りながらトップのレベルで仕事をできる、途上国の大統領とも道端の屋台のおばちゃんとも話ができる人間でありたい。そういう壁を破るモデルになって、志を持って世界と向き合おうとする人たちを感化できる存在になりたい。



ビジネスの業界に入ってどうですか?
違うスポーツをしているような感じで自分の力不足を痛感する。でも問題解決のやり方とかプロジェクトの進め方とか毎日刺激と学びがあって、すごく充実している。


大きなゴールを教えてください。
現場にいる人たちと大統領との間を埋める途上国の政策アドバイザーになりたい。そして、途上国の「改革屋」として行政システムを作り込んだり、社会サービスが持続的に拡がっていく仕組みを作ったりする手助けをしたい。


来年は何していると思いますか?
英語でトップレベルの経営コンサルティングができる人間になっていたい。そのために、今の会社の海外オフィスで欧米企業相手にコンサルティングの仕事をしていられたらいいね。その上で、チームのマネージャーとしてプロジェクトをリードできるようになるところまで頑張ってみたい。


今の自分があるのは、何が一番大きいと思いますか?
環境かな。環境は人を作るから、恵まれた環境を作ってくれた両親には本当に感謝している。ただその一方で、「環境」は自分で選んできたとも思う。いつも人の助けを借りまくりながらだけれど。

親友に「のみは本当は結構高く飛べるんだけど、カゴにずっと入れられていると、そのカゴを取った後もカゴの高さまでしか飛べなくなっちゃう」って言われたことがあってね。どんな比喩だよ(笑)って思ったんだけど正しくて、自分を背伸びさせないといけない環境を選んでいくと伸びるし、そうするともう一段背伸びしないといけない環境にも手が届くようになるってこと。だからそういう環境を自分で選んできたし、選んでいきたい。



若い人たちに向けたメッセージはありますか?
外に出てほしいね。途上国にも、先進国にも。日本で問題になっていることの根っこも解決策も結構外にあると思うんだよね。資源を外に依存しているし、国内の経済の縮小に対処するためには海外マーケットに出る必要があるし、海外の人材の受け入れも不可欠。日本人が国際感覚を持てるようになったら凄く強い。人としての器と世界観も広がる気がする。


大切にしている言葉
「人事を尽くして天命を待つ」  松下幸之助「道を開く」から 
ポイントは「言い訳のしようがない状態」まで必死にやり抜くことと、やり抜いたら安らかな気持ちで結果を受け入れるという境地。結果はもちろん重要だろうけれど、それを目指して「どれだけ太く生きられたか」こそを自分は大事にしたい。


<馬渕さんの軌跡>
1977年 米国ペンシルバニア州に生まれる。
1990年 私立武蔵中学入学
1997年 東京大学入学。文化人類学を専攻し、2001年学士号取得。
2001年 JICA(現 独立行政法人国際協力機構)入構
2005年 ハーバード大学ケネディースクール入学。2007年公共政策修士号(MPP)取得。日本人として初めて、Dean’s Award for Excellence in Student Teachingを受賞。

現在、外資系大手経営コンサルティング会社に勤務。2007年11月、翻訳チームのリーダーとして、ハーバード・MIT(マサチューセッツ工科大学)時代の友人たちと翻訳本「最前線のリーダーシップ‐危機を乗り越える技術」(ロナルド・ハイフェッツ、マーティ・リンスキー著、竹中平蔵監訳、ハーバード・MIT卒業生翻訳チーム訳)を出版。


<編集後記>
二年前の夏の香りがまだ残るハーバードスクウェアで、「開発のことなら馬渕に聞け」と紹介されて出会ったのが彼だった。開発の世界のプロフェッショナルを目指す若者が集うボストンでも彼はそういう存在だった。

在学中も、開発関係のネットワーク作りをするための「ボストン開発コミュニティー」を友人らと立ち上げ、前述の本の翻訳、ティーチングフェローをこなす。一体いつ寝ているんだと思いきや、後輩がハーバードを受験するといえば、エッセイの添削まで買って出て、就職相談にも心底丁寧に応じる。学生という肩書き以外にいくつもの活動を同時並行でこなす人が多いハーバード生の中でも彼の活動は特出していた。

彼の口から出てくる言葉はいつも前を向いている。彼の翻訳した本を読みながら、リーダーという言葉と馬渕君の姿が重なった。何年後かにまたインタビューしてみたい。


写真 タルミアヤ
記事 林 英恵

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コメント

コメント747. Smithb80MAILURL|2016/10/14 22:37

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コメント721. とんきょうでいがく|2014/10/20 23:26

そこまでいうなら、にほんなんとかしてから、たびだてばいいんてじゃないっすか?

コメント720. 匿名|2014/10/20 23:24

そんなら世の中救ってから、好きなだけコンサルやれば。最高学府君。

コメント642. 同級生|2011/02/04 19:15

偶然、このサイトにたどりつきました。

彼とは中高の同級生で、仕事でボストンを訪れた際にも落ち合い、ケネディースクールで語り合いました。
このインタビューは、本当に彼の個性が良く表れていて、刺激を受けた日々を思い出します。
彼とアプローチは違いますが、私も開発や持続可能性についての使命感は共有していて、今回、「頑張らねば!」と心を新たにしました。
ありがとうございました。

コメント580. 林 英恵|2008/03/02 02:34

伊藤さん
こんにちは、はじめまして。
温かいメッセージありがとうございます。感想をそのように言っていただいて、インタビュー冥利につきます。馬渕君も、カメラマンもとても素晴らしい人なのでこの作品が仕上がりました。
これからも、色々な方をインタビューしていきますのでぜひまた遊びに来てください。

本当にありがとうございます。

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